近年現代アート界に大きな影響を与えている六本木ヒルズ森美術館の館長として良く知られた南條史生さんです。この方も日本現代アート界の流れを作ってきた重要な方ですね。
基本情報
- 生年:1949年
- 出身地:東京
- 学歴:
- 1972年 慶應義塾大学経済学部 卒業
- 1977年 慶應義塾大学文学部哲学科 美学美術史学専攻 卒業
目次
経歴の詳細
- 1970~80年代
- 大学卒業後、美術評論や現代美術の企画活動に従事。
- 1978年~1986年:国際交流基金(現・国際交流基金)勤務。日本現代美術の海外紹介に尽力。
- 1986年~1990年:ICAナゴヤ(名古屋市芸術創造センター)ディレクター。
- 1980年代後半には、森ビルの文化事業に参加し、現代アートの発信拠点づくりに関わる。
- 1990年~1994年:NTTインターコミュニケーション・センター(ICC)副館長。メディアアートやテクノロジーを用いた新しい表現形態の紹介と支援を推進。
- 1990年代
- 1991年:カーネギー・インターナショナル(アメリカ)審査員。
- 1997年:ヴェネチア・ビエンナーレ日本館コミッショナーとして活動。
- 1998年:台北ビエンナーレコミッショナー。
- 国内外の国際展に積極的に参加し、日本の現代美術の海外進出を推進。アジア諸国の現代美術にも関心を広げ、アジア作品のキュレーションに注力。
- 2000年代
- 2001年・2005年:ヨコハマトリエンナーレに関与。2005年はアーティスティック・ディレクターを務める。
- シンガポール・ビエンナーレや他国際展の審査員・キュレーターも歴任。
- 「開かれた都市」としてのヨコハマを舞台に、多様なアート表現の交流を促進。
- 2006年~2019年:森美術館館長
- 六本木ヒルズ森美術館館長として、グローバルな現代アートの発信拠点を確立。
- 「六本木クロッシング」シリーズや「サンシャワー:東南アジアの現代美術展」など、アジアの多様性を反映した展覧会を企画。
- 現代アートの社会的役割や都市文化との結びつきを重視し、美術館を社会や都市の未来について語り合うプラットフォームと位置づける。
- 2020年以降
- 館長退任後も国内外で展覧会審査、講演、執筆を精力的に継続。
- 森美術館特別顧問、アーツ前橋特別館長などの役職も担い、美術館運営やアートの社会的機能について積極的に発信。
南條史生さんのアート観・思想
- 「アジア的なるもの」と現代性の関係性の探求
- 日本の美術を単に欧米の文脈に当てはめるのではなく、アジアの文化的特性や歴史的背景を重視。
- アジアの多様な声をグローバルな現代美術の文脈で再定義し、欧米中心主義へのカウンターとして紹介。
- アートの社会的・政治的役割への注目
- アートは単なる美的対象ではなく、社会の変化や政治的課題を映し出す鏡であり、対話を生む装置と位置づける。
- 都市空間における「共生」や「多様性」をテーマに、現代美術が社会的包摂や異文化理解を促進すると強調。
- メディアアートとテクノロジーへの関心
- ICC副館長時代からメディアアートやテクノロジーを用いた新しい表現形態を支持。
- デジタル技術がアートの可能性を拡げることに早くから注目。
- 「翻訳者」としての役割
- 日本と海外のアートシーンをつなぐ「翻訳者」として、文化的な違いを橋渡しし、現代アートの多層的意味を観客に伝えることを使命とする。
- アートの本質と美術館の役割
- 「現代アートは問いを立てること、自らの立ち位置を問うことが本質である」。
- 「美術館は作品を展示するだけの場所ではなく、社会や都市の未来について語り合うプラットフォームであるべき」。
- 「アジアの現代美術は単なる地域的表現ではなく、世界の中で新たな対話を生み出す力を持っている」。
代表的な言葉・理念
- 「現代アートは問いを立てること、自らの立ち位置を問うことが本質である」
- 「美術館は作品を展示するだけの場所ではなく、社会や都市の未来について語り合うプラットフォームであるべき」
- 「アジアの現代美術は単なる地域的表現ではなく、世界の中で新たな対話を生み出す力を持っている」
南條史生さんの主な著作(単著・編著含む)
- 『美術から都市へ―インディペンデント・キュレーター15年の軌跡』(鹿島出版会、1997年)
- 『疾走するアジア―現代アートの今を見る』(美術年鑑社、2010年)
- 『アートを生きる』(角川書店、2012年)
- 『teamLab 永遠の今の中で』(青幻舎、編著)
- 『アートと社会』(竹中平蔵と共編著、東京書籍、2016年)
- 『人は明日どう生きるのか 未来像の更新』(共著も含む場合あり)
このほか、南條史生は数多くの対談・寄稿・展覧会カタログの執筆や編集にも携わっています。
また、都市とアートに関する論考や共著も多く、例えば『都市とアートとイノベーション 創造性とライフスタイルが描く都市未来』(幻冬舎、共著)なども存在します。
南條は、作品の「意味」や「象徴」にとどまらず、アートが生み出す関係性そのものに価値を置いています。特に重要視しているのが、「アーティストと社会」「作品と観客」「展覧会と都市」といった相互作用です。
「アートは意味を説明し尽くすものではない。むしろ、“意味が不定なもの”が、観客との対話を促す」
この姿勢は、現代アートの教育・批評においても重要で、「解釈を教える」のではなく「問いを投げかける力」を育てるべきという彼の教育的信条にもつながっています。
他、具体例:
- 「六本木クロッシング」では、日本社会の変容を若手アーティストの視点から照射。
- 「未来と芸術展」では、都市・AI・バイオテクノロジーなど、社会の未来をアートで構想。
「美術館は、社会に対して“問い”を発信するメディア空間であるべきだ」
「テクノロジーは表現を変える。だが、それが“アートになるか”は、作家が“問い”を持っているかどうかだ」
以上が南條さんのアート観の概要となりますが、前々回の記事で触れた長谷川裕子さんのアート観「アートは問いを生み、共感や新しい感覚を呼び起こし、世界にオルタナティブな視点をもたらす魔術的な存在である」とも一致する部分が多いかもしれませんね。やはり問いの姿勢というのが現代アートの場合は重要だという認識が美術界の多くの人の共通認識にありそうな感じです。次回は南條さんの後に森美術館の館長に就任された片岡真実さんの間合いです
コメント