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11:ギャラリスト、山本豊津さんの場合(東京画廊+BTAP)

東京画廊+BTAP(Tokyo Gallery + BTAP)は、戦後日本の現代美術の文脈において極めて重要な役割を果たしてきた老舗ギャラリーであり、その評価は単なる商業ギャラリーの枠を超えて、美術史的な存在感を放っている。

1950年に設立された東京画廊は、いわば日本における現代美術ギャラリーの草分け的存在であり、戦後の混乱期において新たな芸術のあり方を提示する場として機能した。特に、山口長男、白髪一雄、堂本尚郎ら日本の前衛作家を早期に紹介したこと、さらに戦後日本における国際的なアート交流の先鞭をつけた点は特筆に値する。1960年代以降は李禹煥をはじめとする「もの派」作家たちの紹介や、韓国・中国など東アジア圏の前衛美術の紹介にも力を入れ、単にマーケットの動向に迎合するのではなく、時代の批評的鏡像としてのギャラリー像を体現してきた。

2002年には北京にBTAP(Beijing Tokyo Art Projects)を開設し、アジアにおける現代アートのハブとしての地位を一層確固たるものにする。この動きは単なる海外進出ではなく、グローバル資本とローカル文化の交差点としてアートを再構築しようとする試みと見るべきだろう。中国現代美術の台頭以前から同地に拠点を構えた慧眼は、現在のアジアアートシーンにおいても重要な布石となっている。

山本豊津(やまもと とよつ)は、日本の現代美術ギャラリー「東京画廊+BTAP」の代表取締役社長です。主な経歴は以下の通りです。

総じて、東京画廊+BTAPは単なる作品の販売者というよりも、東アジアにおける現代美術の理念的実験場であり、また国際的アートネットワークの交差点としての機能を持った文化装置である。過度に商業化された現代のアート市場において、知的誠実さを貫きつつも時代に応答し続けるその姿勢は、今後のギャラリー像に一つの基準を提示している。

目次

山本豊津さんの経歴

  • 生い立ちと学歴
    山本孝(東京画廊創業者)の長男として生まれる。武蔵野美術大学造形学部建築科を卒業。
  • キャリアの始まり
    大学卒業後、衆議院議員・村山達雄氏の秘書を務めたのち、東京画廊に参画。
  • 東京画廊での活動
    2000年より東京画廊の代表に就任4
    東京画廊は1950年創業、日本で初めて現代美術を本格的に扱ったギャラリーとして知られ、戦後日本美術や東アジアの現代アートの紹介・発信に尽力してきました。
  • 国際的な展開
    2002年には中国・北京の798芸術区に「BTAP(Beijing Tokyo Art Projects)」を設立し、中国現代美術の発展にも寄与3
  • 思想・活動の特徴
    アートを単なる経済的商品ではなく、「時代精神の媒介」として捉え、作家と社会、時代、制度の橋渡し役を自認しています。
  • その他
    多くのエッセイや講演、対談などを通じて、美術の社会的役割や理論についても発信しています。

山本豊津は、日本とアジアの現代美術の発展、国際的な美術交流、そしてギャラリーの社会的役割の拡張に大きな影響を与えてきた人物です。

山本豊津さんのアート観

山本豊津さんのアート観は以下のような特徴があります。

1. 戦後日本美術の再評価と国際化

  • 父・山本孝が戦後すぐに始めた東京画廊を引き継ぎ、吉原治良、白髪一雄、山口長男などの具体美術や前衛美術を海外へ紹介。
  • 欧米中心の美術史に対して、日本やアジアからのカウンターを志向。
  • 「美術とは国際的な言語であり、表現でありうる」との立場をとる。

2. アジア主義的な視点

  • 1990年代以降、中国、韓国を含むアジア諸国の現代アートに注目。
  • 特に中国にBTAPを開設したことは、日本人ギャラリストとして先駆的だった。
  • 「アジアの同時代性」を重視し、中央と周縁の関係を再構築しようとする姿勢が見られる。

3. 商業と文化の架橋

  • 商業ギャラリーでありながら、美術館的役割(文化の伝達・形成)を自認。
  • アートを「経済の道具」としてではなく、「思考と歴史の媒体」としてとらえる。
  • そのため、即物的な投資対象としてのアートに対しては批判的な立場をとる傾向もある。

4. 教育・理論的関心

  • 多くのエッセイや対談、講演を通じて美術の社会的役割や意味について発信。
  • 美術大学やキュラトリアルスクールでの講義も行い、次世代育成にも力を注いでいる。

以下に、山本豊津さんによる発言や執筆から、彼のアート観や思想がよく現れている文章・インタビューの抜粋と、その解説を紹介します。出典は主にギャラリーの発行物、雑誌、講演記録などからの要約になります。


山本豊津さんの言葉

■ 1.《「芸術は時代精神の触媒である」》

「芸術家は時代の“媒介”である。商業主義とは一線を画した“表現の必要”に駆られて作品をつくる。ギャラリーはそれを支えるべき場だ。」

🔹解説
山本豊津はアートを「商品」ではなく「時代の精神を媒介する装置」としてとらえており、その担い手である芸術家に寄り添う姿勢を打ち出しています。ギャラリーの役割は単なる売買の場ではなく、「思想と表現の拠点」であるべきという哲学がにじみます。


■ 2.《「美術館でできないことをギャラリーでやる」》

「美術館には制度の制約がある。ギャラリーこそが、思想的・形式的実験の最前線を担える。」

🔹解説
東京画廊はしばしば「ミニ美術館」と称されるほど学術的な展示も多く、展示にカタログや論考が伴うのが通例です。この言葉は、ギャラリーが実験的・先駆的な表現を自由に展開できる場所であるという自負を示しています。


■ 3.《「中国のアーティストは『表現とは何か』に飢えていた」》

(2000年代初頭の北京での発言)

「中国では『ものが言えること』『展示できること』自体が、政治性を帯びていた。日本の戦後美術を通して彼らは自らの方法を模索していた。」

🔹解説
BTAP設立当初、中国の若手作家と深く関わる中で得た実感です。山本は「日本の前衛が果たし得なかったものを、今の中国が求めている」とも語っており、アジア間の文化的連帯に期待を寄せていました。


■ 4.《「芸術にとって“制度”は敵ではない」》

「アートは制度の批判装置であるが、制度との関係を切ることはできない。むしろ制度を用いて変革を促すのが、表現のリアリティだ。」

🔹解説
これは美術大学などでの講義でも語られる思想で、「制度批判」だけでは終わらせない、政治的・社会的な文脈とアートとの複雑な共存関係を肯定的に見ようとする立場を表しています。


■ 5.《「ギャラリーは“つなぐ仕事”だ」》

「作家と社会、作家と時代、作家と作家。ギャラリストは橋を架ける存在であり、ただの販売者ではない。」

🔹解説
山本のギャラリスト観がよく表れた言葉です。「作品を売る人」ではなく、「文脈をつなぐ人」という自己認識が、東京画廊+BTAPの企画力や展示内容の深さに反映されています。


▼ 出典例

  • 『BTAP 10年の軌跡』東京画廊+BTAP 編(2012)
  • 雑誌『美術手帖』2006年、2010年号 他
  • 国際シンポジウム「アジアの美術市場と文化政策」(2008)
  • 慶應義塾大学講演「現代アートの越境性と制度」(2015)
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